【小説】クロロホルム

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最高ランク : 38 , 更新： 2017/11/23 4:31:12

【勤労感謝の日と言われたので】

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とある名家の一室で茶会が行われた。
朝からどんより曇っていたが、昼頃にはとうとう雨が降り、ずっしりと重い鼠色の苔の生えた石畳に斑点模様を映し出した。夕方に差しかかる頃にはいよいよ雨も本降りになってきて、往来する人々は様々な色とか模様とかの傘を乱暴にさし、首をすぼめて足早に帰路へと急いでいる。紺色のコートを濡らし、白い息で己の手を温めるそれらは、背の高い館の三階窓から見下ろすと鼠のようである。

そんな彼らを嘲笑うかのように、この館の主人は黒い貫禄のある受話器を取った。受話器越しから聴こえる甲高い声に耳を傾けながら、主人である男、徳田陸道は小さなお客を盗み見る。

重量感のある幅、長さとも十分なテーブルを縦に挟んで二つのチェスターフィールドが置かれており、左側には徳田愛用のシガレットケース、そして右側には齢八つと思われる小さい少年が、人形のようにちょこんと礼儀正しく座っている。縦に長い徳田とは打って変わった、ふっくらとした市松人形のような頬、くんと尖ったおちょぼ口、正しく仕立てられた洋服を少しキツそうに着こなす丸い曲線、そしてそれらを有する者だとは思えないような、何物も見据える鋭い目と眉間に寄る歳不相応な皺。可愛げとは遠く離れたその少年を、徳田は極めて愛しそうに見つめ、暫くして席に着いた。

湿った空気を追い出すように、徳田は両肘を付き組まれた手の橋に顎を乗せ、弱々しい声を発した。

「ご足労頂き、誠に有り難う御座います。足、疲れたでしょ？」

「いえ、此方こそ御茶会に態々招いて頂き、重ねてお礼申し上げます」

「そんなに固くならなくていいよ。君と僕の仲でしょ？そんなことより、飲み物はジュースで良かったかな？」

「はい。ですが、私を子供扱いしないで頂きたい。もう立派な四ツ橋家の当主です」

少年は至極真面目に、自分より三つも四つも上の徳田に言い切った。目を瞑り、落ち着いた口調の少年は若くして宮城県の大地主である四ツ橋家の当主である。名を四ツ橋栄助と言い、四ツ橋家の唯一の跡取りであった。
病弱な四ツ橋五福と幸の間に長男として生を受け、両親の健全な間は、周りの大人達から痛く可愛がられて育ってきた。が、栄助は甘ったれたボンボンにはならなかった。それはこと男、徳田が関係しているようだが、これを語らなかったからと言って本編に支障は出ない。故に、今回は省かせて頂く。

嫌に可愛いげのない子供として育った栄助の周りからは、自然と人が離れて行き、今ここまで親しくしているのは恐らく徳田と、栄助の五つ上の幸谷ぐらいだろう。
徳田はいつもと変わらない栄助の様子に心中安堵し、目の前に用意されていた透明な、丁度徳田の片手に収まる程度の小さいシュガーポットから角砂糖を三つ、珈琲の中に入れ、銀のスプーンでかき混ぜてから角砂糖が溶けないうちに一口二口と飲み進めた。

相当甘くなっているだろうそれを平然と飲む徳田に、栄助は寄った皺を尚寄せ、目を細めた。

「貴方って、甘党でしたっけ？」怪訝そうな声でそう言う栄助を一度も見ず、徳田は「違うよ」と一言否定した。

「最近如何？結構景気良くなってるんじゃないの？」

「はい。それはもう貴方の助力のお陰で、なんとか回っています。三百万の損害は、四ツ橋家の柱を揺るがすほど致命的なものでしたがね」

「そりゃあ良かったよ。君に乞食になってもらっては、僕が困るからね」

くるくるとスプーンを回す徳田の声はとても優しいものだったが、何気なく放った言葉は秋風で乾燥した空気を凍てつくのにわけなかった。

【続く】