え?何?二部にサンソン先生が出てきて帽子ちゃんと戦うって?
FGO シャルル=アンリ・サンソン 歴史の勉強だよ!←最高ランク : 6 , 更新: 2018/01/22 0:14:32
誰もそんな事は言ってません。
どもども、えふご二部のあの帽子ちゃんがモンペだったらすごい萌えるしサンソン先生ガチで殺しにくると思うので是非モンペであってほしいひかるさんです(長い)
えー今日はですね
こんなクソ寒い中ゲーセンに行くんだけどその前にえふじーおーに出てくるシャルル=アンリ・サンソンと言う人物について知って頂きたく思い来ました( ˘ω˘ )←
まずね、基本情報としてえふごでのサンソン先生はどんなものかね、教えましょう( ˘ω˘ )
星2サーヴァントでフレンドポイントガチャから排出されるサーヴァント。
クラスはアサシン。
属性は秩序・悪ですね←しんどい
出典元はフランスの史実。
彼は当時のフランス王妃、マリーアントワネット、そしてかの王であるルイ16世とも関係があります。
ここからおフランスの歴史授業になるよ( ˘ω˘ )
シャルル=アンリ・サンソンは当時フランスでは最も身分が低いとされている処刑人の家柄でした。
処刑人の家系は学校に行く事は出来ず、また当時周りの人からも畏怖の目で見られるような職であった為、サンソンは苦悩していたそうです。
しかし、そんな家柄でありながら、暮らしは非常に豊かであり、また教養も行き届いています。
何故なら処刑人とは人を裁く為にある為、ある程度の知識を必要とするからです。
そんなサンソンが処刑の職に就いたのは15の時。そして、初めて処刑を執り行ったのは16の時です。
1757年3月27日 ロベール=フランソワ・ダミアンに八つ裂きの刑が行われる。これがフランスで最後の八つ裂きの刑となった。(Wikipedia参照)
この八つ裂きの刑とは、4頭の馬と、処刑人の手足を繋ぎ、馬で引っ張り八つ裂きにすると言う酷い刑です。
サンソン先生が第2再臨から肩に乗せている馬。
あれはこの八つ裂きの刑がモチーフとなっています。
1767年、1769年と、続いて息子が産まれます。
そして1778年8月。父であるシャルル=ジャン・バチスト・サンソンが正式に引退してムッシュ・ド・パリの称号を叙任して死刑執行人に就任する事となりました。
そして。
1792年4月25日。最初のギロチンによる死刑が行われる。
ギロチン。日本では断頭台と呼ばれる、首を切断する処刑具です。
このギロチンが登場する事によって、サンソンは処刑の数を増やしていきました…。
1793年1月21日。ルイ16世を処刑する。
ルイ16世。当時フランスの王であったとされる人物です。
彼はルイ16世を心より愛し、マリーアントワネット王妃を愛し、そして祈りをあげながら。
その祈りは届かず。
処刑する事となってしまいました。
この後、息子であるアンリに職を譲り引退。
ナポレオンに謁見した年の7月4日に死去しました。
ここまで見ると、至って普通の処刑人の人生かもしれません。
しかし。
彼は1789年5月5日 – 1799年11月9日のフランス革命期の真っ只中で処刑を執り行っていたのです。そしてその中でのギロチンの導入。
彼は二千七百数十名を処刑しました。
これはヨーロッパの公的な死刑執行人としては、ヴァイマル共和政からナチス・ドイツ敗北までのドイツで3,165人の死刑を執行したヨハン・ライヒハートに次ぐ人数である。(Wikipedia)
つまり、彼は世界で二番目に多く人を処刑した人なのです。
ですが、彼はこの様な事を望んでしていた訳ではないのです。
何故なら、彼は死刑執行人でありながら、死刑を廃止しようとしていたのですから。
しかし、それは彼の居た時代には叶わず、自身の愛した王とその妻である王妃を処刑する事となってしまいました。
また、書記には死刑が廃止される事が自分が死刑執行人と言う立場から救われる唯一の方法であったと記されているようです。
他にも、Wikipediaにはこのような事が書かれています。↓
皮肉にも彼自身は王党派であった。ルイ16世を熱心に崇拝しており、自分が処刑するという結果になってしまったことを生涯悔いていた。フランス革命当時はルイ16世のためにミサを捧げることは死刑になるほどの重罪でありながら、神父を匿って秘密ミサを上げていたという。
___________________
ここからは彼の副業についてです。
FGOでもスキルとしてその名残を見せていますが、彼は副業として医者をして居ました。
サンソン家は死刑執行人の本業を持つ一方で医師としての仕事も行っていた。収入は医師としての収入が大半を占めていたと言われている。医師としての技術は当時のヨーロッパの平均的な水準を上回っていたと言われており、貴族から庶民まで幅広く治療したと言われている。シャルル=アンリ・サンソンの時代に詳細な医学書が書き起こされ、のちのサンソン家の子孫はこれを元に医療を行っていた。サンソン家の医学は当時の大学などで教えられていた医学とは異なる独自の体系を持っていた。そもそも、死刑執行人の一族は学校に通うことができず、医者に診て貰うこともできなかったため正規の教育を受けることができなかった。そんな中で独自に編み出された医術を用いていた。死刑執行人につきまとう不気味なイメージから、周りからは呪術的な医術と思われていたようである。しかし、その医療技術は徹底して現実主義的なものであり、当時の医学界で主流だったオカルト的な、現代医学からみて非科学的な治療は行わなかった。実際に、医師に見放された難病の治療に成功した事例が数多く伝えられている。当時の死刑執行人は死体の保管も行っており、サンソン家では死体を解剖して研究を行っていた。また、死刑執行人は鞭打ちなどの刑罰も行っており、人間の身体をどこまで傷つけても死なないか、後遺症が残らないか詳細に知っていたという。身体に穴を開けると言った刑罰ではどこに穴を開ければ後遺症が少ないか徹底的に研究しており、サンソン家に刑罰を受けた人間はその後の存命率が高かったと言われている。サンソンは刑罰で自分が傷つけた相手の治療を熱心に行っていた。(Wikipedia参照)
Wikipediaをまるまる持ってきましたが、つまり彼の家系は死体や刑罰などを通してどの様な後遺症が残るか、どこまで傷付けて大丈夫なのかなどを研究し、また刑罰を行った相手の治療もしていた。とされています。
________________
2000字超えたけど!!!
3000行きそうだけど!!!
サンソン先生とはこんな人なんです史実に墜ちろ!!!!!!!!!(なお鯖性能はお察し)
気になったならFGO始めちゃっていいのよ?|ν^)
だってサンソン先生はフレポガチャで出るんだから(^ν^)
低レアでもクリアできるし(^ν^)
あ、サンソン先生のCV言ってなかったですね。
大人しい宮野真守です。
はい。
じゃあの!!!٩( ᐛ )و
くれちゃん>>
僕はサンソン先生もアンデルセンも両方ともすき…( ˘ω˘ )
ジキルハイドもいいよね…( ˘ω˘ )
ハイドで
い つ も の
って言った後に実家のような安心感がくるのは定番( ˘ω˘ )
愛咲 ひかる
2018/01/22 0:34:05 違反報告 リンク
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